COLUMN

[HRプロ連載記事]第5話:インドネシアの就労観と日系企業に対するイメージ

8.連載記事

昨今は日本人の就労観も柔軟になってきているものの、依然、日本は「就職=就社」の考えが強い国だと思う。よって、会社に対する帰属意識やロイヤルティーが高い人ほど、辞めにくい。しかし、インドネシアではロイヤルティー高く働いていた人が、ある日、急に辞めることがある。この背景には、キャリアに対する考え方や、賃金制度、日系企業に対するイメージ、社内のコミュニケーションの取り方など、様々な課題が存在する。

最初の部下、Firmanの突然の退職

4年前、私がインドネシアで働きだして、まだ間もない頃の話だ。Firmanというインドネシア大学卒の優秀な部下がいた。インドネシアでの、私の最初の部下だ。彼は日本語が堪能で、性格も穏やか。頭もよく、いつも真面目に働いてくれた。私はインドネシアに来たばかりで、英語もインドネシア語もまだろくに話せなかったが、彼とはいいコミュニケーションが取れており、心強い戦力になってくれていた。「なんだ。インドネシアも日本も同じ。今までの経験は十分通用するぞ」と自信を持ちはじめたある日、突然Firmanが「辞めます」と言い出した。

日本でも辞めてほしくない部下に辞められた苦い経験は何度かあったが、その前に現出する “辞めそうサイン”は察知できる。社内の人間関係、仕事内容、夢と現実の乖離などで本人のモチベーションが低下してきていることは、少なからず相手から感じ取れるものだ。そんな時私は、深い会話をしたり、環境を変化させたり、本人自身の変化を促すことにより、退職を回避するようにしてきた。

しかしこのFirmanの一件は、寝耳に水だった。当時、彼しか部下がおらず、辞められると困るので熱心に説得したが、時すでに遅し。意志は固く、笑顔で退職を告げる彼の前に私は折れ、最後はお互いの今後を応援しようと爽やかに別れた。

前々回のコラムで取り上げた、ミルトン・ベネットの「異文化感受性発達モデル」の発展過程に、「Minimization:違いの矮小化」という段階がある。ここは、「インドネシア人も日本人も皆おなじ!」と分かった風なことを言うというレベルだが、まさに当時の私はそうだったと思う。確実にある違いに目を向けず、なんとなくうまくいっていた現状に自分を過信していたのだろう。このような状況を防ぐためには、まずは歴史的背景やその国の常識を勉強し、違いを把握しておくことが重要である。

ということで今回は、JACリクルートメントインドネシア(以下JAC)の小林社長と労務の専門家の長濱さんにお話を伺った。JACは、2002年に設立されたインドネシアにおける人材業界のスペシャリスト集団。人材紹介事業だけでなく、労務問題の課題解決にも専門家を揃え取り組んでいる。小林社長には公私ともどもお世話になっているが、今回は改めて、就労観念や賃金事情など、インドネシア人の特色や考え方についてご説明をいただいた。

大企業志向であり、起業家志向であるインドネシア人!?

(稲垣) インドネシア人のキャリアの考え方について教えていただけますか。

(小林) インドネシアには新卒採用という文化がありません。チャンスがあればアルバイト感覚ですぐに働き始め、1年も満たない間に辞めてしまうので、赴任されて間もない日本人の方は驚かれるようです。20代で2~3回転職するのは一般的で、30歳になってようやく自分の専門性を決める。そこから1~2回転職をして結婚をして、40歳くらいでようやく落ち着くという感じですね。定年が55歳なのでキャリアについても日本人よりも早い感覚で動いていて、日系企業がじっくり育てようと考えていると、チャンスがないと思ってやめてしまいます。どんどんキャリアアップできないと、見切りをつけて転職してしまうんですね。

(稲垣) インドネシア人は国内大企業志向が強いと聞きます。

(長濱) 外資企業はトップが2~3年で変わってしまうので、不安定と感じるようです。上層部は外国人が占めているし、トップまで上り詰めることもできないイメージがある。現在のインドネシア企業は、欧米系外資企業と比較してもある程度高い給料で雇用する力があるので、安定感のある財閥とか、国営企業の人気が高いんです。

起業を将来の目標に置いている人も多いと思います。日本では退職したら生涯年金をもらえますよね。インドネシアでも2015年8月にやっと生涯年金の制度ができたのですが、十分な額をもらえるわけではありません。退職金は最大28カ月分出ますが、2~3年でなくなってしまう。つまり、国がすべて面倒を見てくれるわけではないので、安定するためには自分でどうにかしなければならない。大学でも一般教養としてアントレプレナーシップの授業があります。

インドネシアでは面接時に「将来起業したい」と発言するのは普通です。日本では「この会社でずっと頑張りたい」と言わないと採用されないことが多いようですが、この国は違います。これについては日本人の感覚ほうが特殊なのかもしれません。

彼らのキャリアアップ思考と起業志向は、日本のそれとは大きく異なります。そこを的確に捉えて、彼らに自社の従業員として働くメリットを、わかりやすい形で提示することが求められると思います。

インドネシア人の日系企業に対するイメージ

(稲垣) 就職市場において、日系企業はどのように見られているのでしょうか。

(小林) JACリクルートメントが作成している「アジア人材戦略レポート」によると、アジアのローカルスタッフは、製品・サービスの品質や雇用の安定、組織の規律などをメリットと感じており、言うなれば「精神的満足感」を得ているように思われます。一方で、給与条件や昇給・昇格を日系企業のデメリットと感じているようです。

(稲垣) 給与条件は、それほど違うのでしょうか。

(長濱) 当社が調査した、インドネシアにおける給与レンジデータがあります。これは、各職種・役職ごとに、Japanese Company(日系企業)とMNC(欧米系の多国籍企業)とLocal Company(インドネシア企業)の募集給与額を比較した図です。この図を見ていただくと、大体の職種において、非管理職クラスは日系企業のほうが高いのですが、課長職以上になると、日系企業とその他の企業の差がどんどんついてきます。この給与格差は、管理職クラスになると、日系企業から離れてしまう要因の1つになっていると思います。

(稲垣) そんな日系企業へアドバイスをお願いします。

(小林) 給与レンジに関しては、従来の給与システムを見直すことが必要かと思います。最近は金融業界をはじめ、市場ニーズに合わせてきている日系企業もあります。当然ですが、そうなると採用成果も大きく変わってきます。

また、日本人駐在員の方は2~3年で帰任してしまう方が多いのですが、それは非常にもったいないと感じます。どうしてもローカルの人たちとの人間関係が分断されてしまう。例えば、韓国の駐在員は片道切符で来ている人も多くて、じっくりローカルの方との人間関係を育てることを重要視している会社が多いです。もちろんこれは、それぞれ会社や家庭の事情があり、簡単な問題ではありませんが、長く駐在してじっくりと人材や人脈を育てていく制度を作ることも必要かと思います。

一方で、先ほどの調査でもあったように、日系企業に精神的満足感を感じている方も多く、これはどの国にもない強みなので、ぜひ引き続き強化していただきたいです。

本来、穏やかなインドネシア人と、従業員思いの日本人の性格は、非常に相性がいいはずです。賃金形態や社員のキャリアアップの仕方や駐在の仕組みなど、試行錯誤しながら、よい組織運営を作っていただきたいですね。我々は人材関連の面で強力にサポートさせていただきます。

インタビューを終えて

久しぶりにFirmanを思い出したので、会おうと思い連絡をとってみたら、なんと彼は、日本で早稲田大学に通っていた。2014年に私と別れた後、彼はインドネシア政府機関に入り、日本に関するリサーチを担当していたという。その一環で早稲田に留学をしているらしい。私は帰国した足で、彼と都内のインドネシア料理店で久しぶりの再会を果たすと、しばし2人で思い出話に花を咲かせた。当時苦労したことも、今となっては笑い話だ。

今や彼は、インドネシアにおいて日本研究の専門家で、ヒヤリングやインタビューなど様々な調査を行っている模様。そこでやはり、はっきりとしたのは、日本人とインドネシアとでは仕事の仕方がずいぶん違う、ということだ。日本人は、仕事が細かく、完璧主義。そしてマルチタスクの指示をすることが多いという。インドネシア人の彼はその価値観の上に立つ私の指示を受け入れることができず、相当に苦労した様子。そんな彼に、当時の私の印象を聞いてみた。

(Firman) いやー、稲垣さんは典型的な日本人のイメージでした。いつもシリアスで厳しくて。率直に言ってインドネシアの文化はあまり理解できていなかったと思います。

(稲垣) …。

うすうす分かってはいたことだが、改めてインドネシアに来たばかりの頃の自分の未熟さを直視すると、恥ずかしくなる。人生修行が必要。おごり高ぶらず、今後も常に自分を客観視していきたいものだ。

Firmanの夢は、インドネシアと日本間の移動/移住を促進する研究分野の第一人者になるということ。ぜひ両国の為に頑張ってほしい。私も負けていられない。またお互い成長して再会することを誓いあった。


本コラムは、HRプロで連載中の当社記事を引用しています。
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=1554&page=1

Pocket