COLUMN
先日、「SUCCESS-Osaka」という文部科学省委託事業の「留学生就職促進プログラム」の一環で、関西大学で外国人留学生を対象として、キャリアに関する講義をさせていただいた。その時、モデレーターをされていたのが、関西大学の池田教授だ。Zoom越しにも人間力がビシビシと伝わってくるお人柄で、タダモノではないと感じ(笑)、取材を申し入れたところお引き受けいただけた。ご自身の波乱万丈な半生と、理論と実践にもとづいたお話は大変学びが多かった。特に、若者に対する「摩耗するほどの経験をせよ」というメッセージは、強い共感を覚える。若手の育成、もしくはご自身の価値観をもっと広げたいと思っている方にはぜひお読みいただきたい。
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(稲垣) まず簡単に、池田先生のプロフィールを教えていただけますでしょうか。
(池田) 現在は、関西大学 国際部教授・グローバル教育イノベーション推進機構 副機構長を務めています。稲垣さんには「SUCCESS-Osaka」で外国人留学生に講義をしていただきましたが、日本に来る留学生への就職支援や、日本人の海外への留学支援などもおこなっています。大学はハワイ大学 マノア校でPh.D.をとっています。
(稲垣) 海外と関わるようになったのはいつからですか?
(池田) 高校1年の時からです。生まれも育ちも大阪で、中高一貫教育の大谷女子中学校・高等学校に入ったんですが、何を思ったのか、高校には進学せずにカナダの高校に留学し、1年後アメリカの大学に進みました。
(稲垣) 何か事情があって海外に渡ったんですか?
(池田) いえ……。若い時って「勢い」で行動するんですよね。中学生の頃の私は英語が嫌いで0点ばかりとっていたんです。苦手だったために、カナダ人のALT(外国人言語教育アシスタント)の先生も避けていたのですが、ある時エレベーターでふたりきりになってしまって。外国の方ってすごく話しかけてくるじゃないですか。仕方がないと思って汗をかきながらしゃべってみたんですよ。そうしたら楽しかったんです。その勢いで「留学をしよう」と決めました。
(稲垣) 急展開ですね! ご両親は理解してくれましたか?
(池田) 大反対でした。とくに、父からは「留学するなら勘当」と言われました。その当時の「留学」に対するイメージは、「人生の道を外れるもの」くらいだった時代なので。母親も反対で、さすがに学費は出してくれましたが、高校3年間で1回も帰国せず、手紙のやり取りを1度したくらいでした。
(稲垣) かなりの覚悟をもって留学したんですね。
(池田) 「覚悟」といえばカッコいいですが、まだ14歳くらいなので、本当は何も考えていませんよ(笑)。無知で頑固なだけです。しかし、「無知」というのは場合によっては武器にもなります。「何も考えずに一歩踏み出す」という力を若者はもっているので、「無知」もパワーになると思うんですよ。
(稲垣) そこは共感できます。厳しい会社への就職や、出世した後の転職、ゼロから始めた起業、英語も話せない状態の海外進出。私も、「無知」だからこそ飛びこめたと思います。
(池田) そうです。だから、それができるうちにどんどん新しい世界に飛びこむべきなんですよね。
(稲垣) 期待いっぱいに飛び込んだ海外。すごい解放感だったんじゃないですか?
(池田) いえ。それが、本当にどん底でした。これって「留学あるある」だと思いますが、日本では来日した外国人が特別扱いされてチヤホヤされているのを見ていたので、反対に、日本人の自分が海外に行ったら特別扱いしてくれるものだと思っていたんですよね。ところが、ちょうど「香港返還」が起きたくらいの当時は、アジアからの移民なんて、ごろごろといて、まったく相手にされなかったんです。私なんて「ゴマ粒」程度の扱い。しかも、言葉の通じないゴマ粒だから最悪ですよ。そういった衝撃を最初に受けました。
(稲垣) ホームシックにかかるとか、「帰ろう」、「嫌だな」とか思わなかったんですか?
(池田) もちろん思いました。でも、親に啖呵を切って背水の陣で来てるでしょう。しかも帰ったら私は中卒になります。後ろは振り返れませんでした。
(稲垣) どうやって乗り越えたんですか? 誰か心の支えがいたんですか?
(池田) 当時、「心のよりどころ」がいましたね。カナダに渡って3ヵ月くらいでできた友人でした。その友人は、中国系カナダ人2世の子だったと思います。親が移民なので、「言語的なトラブル」や「異文化とのギャップ」といった困難を乗り越えてきているんです。そうすると、同じように困っている学生・留学生に手を差し伸べたいという気持ちが生まれ、私のつたない会話にも、我慢強く付き合って聞いてくれました。
10代の女の子ですから「話ができたらハッピー」なので、彼女がホームステイ先に電話をかけてきてくれて、夜な夜なしゃべるんです。最初のうち、私は英語を話せないのでひたすら聞いているだけでしたけど。その後は、その子が四六時中一緒にいてくれるベストフレンドになってくれたんです。孤独を抜け出し、そこからは「普通の女子高生」の生活ですよ。おしゃれをするし、買い物にも行くし……という、「普通の生活」に入ることができました。一気に楽しくなりますね。ちょうどそのぐらいの頃から、ちゃんと英語が聞き取れるようになってくるし、少しずつしゃべることができるようにもなりましたね。
(稲垣) なるほど、大切な出会いがあったんですね。そういった「相手の立場をちゃんとわかってくれる友達」は、大事なキーワードなんでしょうね。
(池田) 友人の数は1人でもいいと思いますがとても大事です。日本に来ている留学生も同じだと私は思います。私はその立場を経験してるいのでね。
しかし、日本人学生と留学生って意外と交わってないんです。たぶん、それは日本のどこの大学でも一緒。そして、海外でも一緒だと思います。なかなか違う国同士の人間が腹を割って話せるような状況にはなってないと思います。それができている人は就活ひとつとっても、まったく問題ないし、放っておいても就職できる。しかし、留学生は疎外感をもっているし、同じ境遇同士の人だけでコミュニティをつくってしまうんですよね。そこに日本人とのネットワークが入ってこないんです。この「交わりをつくること」がすごく重要だと思います。
(稲垣) そういったネットワークをつくってあげる、用意する、というのは意図的にできるものですか。
(池田) 「お膳立てをしてあげる」という意味では、できると思います。そういう環境に導いてあげる。どこにその接点があるかがわからない学生たちが多いから、「接点ができそうなところ」や「環境」をつくってあげて、ちょっと背中を押してあげる、というのがいい温度感なんですよ。日本人側も留学生側も、どちらも近寄ってくるのを待っているけど、お互いが牽制し合っているというのも事実なので、我々が、どっちにも「背中をポンッと押してあげる」という役割を担うのは大事だと思っています。その後は、私たちは徐々にフェードアウトしていく必要がありますけどね。
(稲垣) ポイントをついた「教育的介入」が重要だと思いますが、先生が心がけていることはありますか?
(池田) できる限り「共修スタイル」を心がけています。自分がとらなければいけない行動に対して、パラレルで一緒に参加しているという状況をつくってあげることです。時系列で、インターバルを長くしてあげる、という点がすごく大事です。
家族と一緒ですよ。家族だって、一緒に過ごす時間が長ければ長いほど絆が深まります。何をするでもなく、ただただボーっと過ごすだけでもね。本音は、授業なのでボーっとはしないで勉強してほしいんですが、そういった「時間を一緒に過ごす」という経験、同じものを一緒に見て、共通の体験をする機会・接触を増やすことが一番大事です。そこからは、彼らが自分で行動するでしょう。
(稲垣) なるほど。「共修スタイル」で長い時間を過ごしていくと、相手に共感できたり、腹を割ることもできたりしますよね。ただ、人は、「異質」のものより「同質」のものを好む傾向があります。そこで共修スタイルをとると、自分と同じ意見の人と固まったり、違う意見に対してうまく議論できなかったりしませんか? これは、社会人教育の現場でも起こっていることです。
(池田) そうですね。同じことがいえると思います。まさに、ここが「教育的介入」の大事なところだと思います。メタレベルに認識させることが重要ですね。「自分とは異なる意見の人間と対峙する」こと、そして「共に学ぶ力をつけることが大事だ」ということを、「メタレベルで認識させる」のが非常に重要です。自分と似たような人と一緒にいた方が楽なんだけれども、敢えてそれを乗り越えないといけない。その理由はなんなのか? というのを、自分自身がメタレベルで理解していないと、一歩踏み出せないですよね。ここは、放ったらかしではなんともならないので、我々が「教育的介入」をする場面です。
(稲垣) 「メタレベルの理解」ができると、行動に移せるものですか?
(池田) いやいや。そこがまた「教育的介入」のポイント・難しさだと思います。こういったものは抽象的に言われてしまうと、「綺麗事」で終わってしまいます。そこを、具体例や、自分自身が開眼するようなもの、エピソードを入れこみながらうまくやってあげる。
必ずしもメタだけを集中してやる必要はないんです。少しメタをやってまた実践に戻して、過程を見て、変化のタイミングを見計らってまたメタを入れる。「メタと実践」を行ったり来たりしていいと思うんですよね。そういうやり方をしないと、実際のところ、その人自身のためにはならないし、身につかないと思うんです。一番肝心なのは、専門用語を覚えることではなくて、実感として「異文化の人間と一緒に何かをおこなう時はこうすればいいんだ!」という理念・セオリーを、自分の中につくれるかどうかなんです。
(稲垣) 私は過去の「ロンドンオリンピック」の時に、ハンドボールの日本代表チームの「チームビルディング」をお手伝いしていたんですが、彼らも「理論と実践」をひたすら繰り返していました。監督は「動きを細胞に覚えこませる」という表現をしていたと思います。
(池田) まさにそうだと思います。学習理論の中に「自動化」というコンセプトがあります。人間の頭で一度に情報処理ができるキャッシュメモリーは有限なのに、なぜ覚えられるのかというと、膨大な記憶やスキル、動きなど、なんでもそうなんですが、反復練習のようにいろいろなプロセスを経て、その工程を自動化するからなんですよ。その、自動化されたものに対して費やすエネルギーはゼロなんです。
(稲垣) なるほど、キャッシュメモリーを使わないんだ。
(池田) 意識しなくてもできる状態にしたら、今度は次の新しいスキルを頭に入れられるわけです。それをまた自動化していく。人間は、「自動化」の能力をもっている生き物で、この点が、ほかの生物・動物とは異なる、一線を画しているところなんだそうです。
(稲垣) 異文化適応において、日本人の特徴をどう捉えておられるかをお聞きしたいです。私自身、今から6年前、39歳で初めてインドネシアに働きに出て、いかに自分が凝り固まった価値観をもっていたかを思い知ったんです。これは結構ショックでしたね。今はいい経験ができたと思っていますが、仕事で成果を出しながら、自分の価値観を広げて適応していくというのは、ストレスがかかりました。日本人の価値観の狭さなどを感じられますか?
(池田) もちろん感じます。その理由のひとつは、日本国内にいると「異なるものとの接触」が極めて少ないからです。まったく自分と異なる存在に対する接触度合いが、成人になるまでの人生で極端に少ない。今やっと「グローバル化」といって、日本社会や隣近所にも外国人がいるようになりましたけれど、それでもまだ「都心の話」ですよね。例えば、インドネシアは「インドネシア人」とひと括りにはまとめられない、ダイナミックな国じゃないですか。
(稲垣) あらゆる民族・宗教・価値観の人がいますね。
(池田) そういった中にいて、子供から成人になるのとは全然違う。「接触度合いが違う環境」という要因は大きいと思います。
(稲垣) なるほど。先ほどの「自動化」の話でいくと、6年前の当時、異文化が自動化されていなかった私は、結構脳みそが疲れたんですよね。インドネシアに行って、自分とは価値観や宗教観がずいぶん違う人とコミュニケーションをとりながら、仕事で成果を求めるということは、メモリーを相当使っていたんだろうなと思います。当時と比べると、今は全然そうではなくなってきていて、異文化の人と話してもあまりメモリーを使ってないんですね。
(池田) 異文化コミュニケーションが、すでに稲垣さんの一部にもなっているんじゃないですか。インドネシアの感覚というものが、稲垣さんのアイデンティティだったり考え方だったりに対して、「異物」ではなくて自分に内化しているところがあるんじゃないかな。それを「自動化」と呼んでもいいと思います。そうすると楽ですし、自分のもの、つまり自分の感覚の一部になる。
(稲垣) そうですね。それができたら、インドネシア人だけではなく西洋人でも、僕が今まで、自分とは異なると無意識に思ってきた人たちも、アナロジーで、応用的に受けいれられる。その受容の幅が広がっているんだと思いますね。日本の若者は、意図的に接触の度合いを上げていくことが大事なんでしょうか。
(池田) 「接触の度合いを上げる」とは、言い換えれば「異文化交流」という綺麗な言葉に聞こえますが、もっと擦りむけるぐらいの修羅場にのぞむことです。私は「摩耗」といいますが、これは摩擦どころではなく、擦り切れるし、傷つくぐらいの接触の仕方が大事なんです。今は「ソーシャルディスタンス」で、そんなことが可能かもわかりませんが、いわゆるメンタルな意味も含めた「摩耗」です。疲れるし、嫌な気持ちにもなりますよね。しかし、その過程をもっと早く、より頻度高く、国内で交われるようになる、というのが、これからの若者に対して必要なことだと思うんです。
これは『Collective Genius(邦題/ハーバード流逆転のリーダーシップ)』という本の中で「Abrasion」という言葉で、その重要性が語られています。「Abrasion」の日本語訳でぴったりくる意味が「摩耗」なんです。
池田先生の半生は本当に波乱万丈で面白く、体験による理論的な言葉が力強かった。14歳で日本を飛び出した頃と今も根本は変わっていないような、無垢な人間性も感じる。Zoom越しでも、人間のオーラは感じることができるものなのだ。
池田先生のように、人生を力強く切り拓いてきた方のお話は、どこかテレビモニターの向こう側を覗いているように感じるかもしれないが、誤解を恐れずにいうと、そうではないのだ。100メートルを9秒台で走るとか、史上最年少で棋聖戦のタイトルを獲得するとかいった特別なことは、天が与えた才能によるものと思ってしまうが、先生の思考・行動の一つひとつは、誰もが真似できることだと感じる。大事なのは、「摩擦」では終わらせず「摩耗」するまで、自分を厳しい環境にさらすことができるかどうかだ。私も、今までの人生でそれなりに摩耗してきた自負はあるが、これからの半生も新しい挑戦をして摩耗していきたいと感じた。
取材協力
池田佳子(いけだ けいこ)さん
大阪府出身。関西大学国際部 教授・グローバル教育イノベーション推進機構 副機構長・一般社団法人Transcend-Learning 代表理事。2006年、ハワイ大学にてPh.D.を取得。トロント大学、名古屋大学で教鞭をとり、15年より現職。専門は国際教育、英語および日本語教育、会話分析。文部科学省委託事業 留学生就職促進プログラム「SUCCESS-Osaka」などのプロジェクトにも参加。外国人留学生と社会をつなぐ活動にも精力的に取り組む。
本コラムは、HRプロで連載中の当社記事を引用しています。
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=2147