COLUMN
今回は、株式会社アイ・ビー・エス取締役社長、および神奈川県ビルメンテナンス協会の理事である、矢野さんにお話をお聞きした。ビルメンテナンス業界とは、「清掃」、つまりビルクリーニングを中心にビルの環境衛生や保守管理を担う業界である。プロダクトライフサイクルでいうと、成熟期から衰退期に入った産業ではあるというが、特定技能ではビルクリーニング分野も14業種のひとつとされ、人手不足が叫ばれる労働集約型の産業である。その中核にいて、「ビルメンテナンス業界からジャパニーズドリームを作りたい」と話す矢野さんは、この業界の現状をどう捉え、どのようなビジョンを描いているのか。素晴らしいビジョンを描く矢野さんのお話を是非ご一読いただきたい。
INDEX
稲垣:まず、矢野さんのご経歴を簡単に教えていただけますでしょうか。
矢野:大学は、カリフォルニアにあるUCLAの国際経済学部を卒業しました。その頃はちょうど湾岸戦争の時期だったので、現地での就職を断念し、日本に帰国して3年間ほど日本の企業に勤めました。その後、父親の経営する清掃業の株式会社アイ・ビー・エスに入社いたしました。そして、2004年から代表を務めております。また2016年には、ミャンマーにアイ・ビー・エスミャンマーを設立し、海外に事業を展開。ビルメンテナンス業界の活動としては、特定技能・技能実習等、海外での技能試験の実施に関する二国間協定の外交や交渉に携わっております。
稲垣:ビルメンテナンス業界は、歴史の長い業界なのでしょうか。
矢野:「年末の大掃除」のようなことは、室町時代の頃から行なわれていました。戦後、米国式のビルの清掃や保守管理をアウトソーシングする流れに乗った企業が誕生し、さらに高度成長期にビルが高層化、複雑化したことによって、その流れが全国的に波及していきました。一方、高度成長という時代の流れは負の遺産も生みました。公害問題が起こり、水や空気、その他あらゆるゴミ処理を含めて、経済の発展とともに非常に劣悪な環境に日本がなっていったのです。そこで、「建物の環境をなんとか維持しなくてはならない」ということになり、昭和45年に「建築物衛生法」をはじめとする様々な法律ができました。ビルメンテナンス業は、そういった日本の経済成長とともに出来上がった産業ですね。
稲垣:それ以降、ずっと成長している産業なのですか?
矢野:「3兆円産業」といわれていたのがちょうどバブルの頃までです。不動産とともに成長する産業なので、建物が増えれば増えるほど仕事が増えるような状況ではありました。
稲垣:バブルが絶頂期で、今は少し落ち着いている状況なのですね。
矢野:そうですね。プロダクトライフサイクルでいうと、成熟期から衰退期に位置づけられると思います。
稲垣:この先、この仕事はなくなっていくのか、もしくは社会のインフラとして残っていくのか。ビルメンテナンスの仕事の今後についてはいかがでしょうか。
矢野:建物がある限り、ビルメンテナンスはなくならないでしょう。ただ、「メンテナンスフリーの時代がきてもおかしくないかな」とは思っています。例えば、空気環境については、高度成長期のように汚れることはまずないかと考えています。このコロナ禍で「ナノイー」などさまざまな機能を搭載した空気清浄機も出ており、今後は空気が建物に入った瞬間に浄化されるような環境も、遅かれ早かれ可能になるのではないでしょうか。また電気に関しても、今は「設備」としてビルメンテナンス業務の範囲内にありますが、再生可能エネルギーも含めて、今までとは違った形での供給もされると思います。清掃は、従来は「汚れたら綺麗にする」という感覚でしたが、そもそも汚れないような素材の普及や、ロボットなどによる自動清掃などにより、ある程度自動制御される時代がきてもおかしくありません。むしろ、そういった状況になっていかなくてはいけないと思います。
稲垣:今後、そのような環境が築かれた際には、「人手」は今ほど必要とされなくなるということですか?
矢野:人手については、「かける必要のある部分」と「かけなくていい部分」の両方が出てくると思います。今は「労働集約型産業」といわれていますが、当然、そこから脱却しなくてはいけません。DX化が遅れている業界ではありますが、「人が必要な部分」と「人でなくていい部分」を遅かれ早かれ切り分けていかなければいけないと思っています。
稲垣:先日、「ビルメンヒューマンフェア&クリーンEXPO 2021」という国内最大級のビルメンテナンス専門展示会で講演をさせていただきました。東京ビッグサイトの会場のブースは業界の方々で大変にぎわっていて、「ロボット化」、「DX化」、「IOT化」といった領域で変革の可能性がとても大きい業界であると感じました。これからますます進化していきますね。
矢野:変わっていかなければいけないと思いますね。例えば「ゴミ」ひとつとってもそうですが、ゴミ箱が一杯になったから処理するのではなく、アラートなどでゴミの量がある程度分かるようになれば、その量に応じて人材をそこに派遣するといったことができます。そのほかにも、「トイレの混雑具合によって他の空いている階に誘導する」といったように、予防的な対策はコロナ禍においてさらに必要性が増したのではないかと思っています。
稲垣:確かに、世の中はダイナミックプライシングのような形で、「需給に合わせて金額が変わる仕組み」というのが当たり前になってきました。ビルメンテナンス業界も変革の時期ですね。
稲垣:「DX化」、「ロボット化」というお話が先ほどありましたが、実際にビルメンテナンス業界が人手不足であることは間違いないですよね。
矢野:はい。そしてまだ、「DX化=ロボット化」には繋がらないと思っています。「掃除をしてくれるロボット」や、「数字を自動観測してくれるロボット」が仮にいたとしても、そのデータをより良い環境に還元するためには、人の分析や判断が必要だと思います。コロナ禍で今「三密が危険ですよ」といわれていますが、その「三密かどうか」を判断する手段のひとつとして、「CO2の濃度」で測ることができますよね。例えば、そのCO2濃度を24時間自動で観測してくれるロボットが仮にいるとしても、ではその場所が「三密かどうか」というのは、ある程度分析して、「この状態であれば三密ですね」という判断を我々が行なうことが必要です。ロボットは「数値化」してくれるかもしれませんが、そこからの「環境への還元」は、どうしても人を介してでなければ出来ません。
稲垣:その環境構築は、今まさに矢野さんが先駆けて、大学との共同研究などを通じてチャレンジされていることかと思います。「業界に人が必要か、必要でないか」という乱暴な議論ではなく、「どういうところにどういう人が必要か」という話につながってくるでしょう。その場合、今の仕事とはだいぶやり方が変わってくるかと思いますが、先ほどおっしゃっていたような「あるべき世界」はいつ頃やってくるのでしょうか。
矢野:最速で、3年以内だと思っています。
稲垣:なるほど、リアリティのある数字ですね。今の常識もかなり変わっていくような気がしますが、3年後には、例えばどのような世界になるのでしょうか。
矢野:一言でいうと、「清潔な環境をクリエイトする」という世界観です。ホテルが分かりやすいかもしれません。例えば、ホテルに泊まると必ずベッドメイクされていますよね。見た目はどこのホテルも綺麗なのですが、中には喘息の発作が止まらないような、空気環境の悪いビジネスホテルもあります。空気中の埃、もしくは温度と湿度の関係で発生したカビによるハウスダストなどで、喘息持ちの人は発作が出てしまいます。それは恐らく、今の我々のビルメンテナンス技術だと、数値化も可視化も出来ていません。しかし、その環境に入った瞬間にそういったハウスダストの数値が分かるような環境が仮にあったとすれば、恐らく喘息持ちの人でも困らないのではないかと思います。
稲垣:今、我々は目に見えない新型コロナウイルスと戦っていますが、「可視化する」というのはすごい変化ですね。
矢野:新型コロナウイルスの可視化は大げさですが、例えば、先ほど述べた「CO2の濃度」や「カビができやすい状況」の測定などは実用的ですよね。当然ですが、「温度」、「湿度」、「環境の汚れ」の3つの条件が揃うとカビは繁殖するので、「ウイルスが繁殖するような環境をどれだけ制御できるか」、またそれに対して「どれだけIoTとAIを駆使して室内環境を作るか」といったことは、今の技術の更に上をいかなくては実現できないでしょう。
稲垣:なるほど。では人手の部分、例えば、今、人がやっている「ホテルのベッドメイク」や「オフィスビルの清掃」、「大きな高層ビルの窓の清掃」などをロボット化、IT化するというのはどうでしょう。
矢野:そこには「生産性」や「効率」が関わってきますよね。例えばホテルの話の延長でいうと、「何階にどれくらいの人数が宿泊していて、どれくらいの人が稼働しているから、そのフロアにこれだけの人数を投入しなければいけない」、もしくは「これだけの清掃作業をしなければいけない」といったことも関係します。また、働き手のシフトや最大効率、建物の面積なども関係するでしょうし、清掃の頻度や投入する人数などにもよるでしょう。そういった条件は、今、新型コロナによってビルの稼働状況が急激に変化していて、建物の用途や人口密度も日替わりで変わってきているので、状況に応じて人の投資も変わってくると思います。それは、今までのような「アナログ式」では絶対に計算できないでしょう。面積が大きくなればなるほど、難しいと思います。
稲垣:1社の効率化だけではなく、業界の効率化も視野に入ってきますね。
矢野:アリババと中国の杭州が、DX化によって事故が起きない交通整理をしたり、交通事故が起きない都市を作ったり、すでにそういった形で動き出しています。トヨタも御殿場でスマートシティを作っています。いわゆる業界の「スマートビルディング」というのは、近い将来に出来てもおかしくないでしょう。
稲垣:今回、ビルメンテナンス協会の意向を受けて設置された「ビルクリーニング外国人材受入支援センター」では、「ワンストップ・サポートサービス(以下、ワンサポ)」を開発されました。その概要を教えていただけますでしょうか。
矢野:これは、特定技能の外国人採用において、面接・採用から始まり、試験合格に向けた専門技術と知識の習得、出入国までの一連の過程を、ワンストップでサポートするものです。入国・就業してからもサポートを継続し、帰国までの間、安心して仕事ができる環境づくりを目指しています。
稲垣:今、「特定技能に取り組みたいけれど、どうすればよいのかわからない」、「不安がある」という企業がたくさんありますが、支援センターによるサポートはこの上なく心強いと思います。なぜ、このサポートを立ち上げようと思ったのでしょうか。
矢野:自分自身、外国人採用においては失敗の連続があって、そこから発想しました。僕たちは「4つの不安」と言っていますが、実際にこのような不安を抱えてきたんです。
(1)採用や受け入れに必要な事が分からない不安
(2)自社に馴染む外国人材採用が出来るかどうかの不安
(3)入社後、しっかり活躍させられるかどうかの不安
(4)採用や受け入れに必要な費用が見えない不安
色々な過程で、そういった不満や不安を抱く会社が多いだろうと考えました。この業界はずっと鎖国状態で、外国人とは縁のない業界だったので、恐らく同じような経験を皆さんがされるのであれば、そういった失敗をする時間がもったいないと思いました。ある程度、データと実績に基づいて最大限に効率化し、雇う側と雇われる側の双方がWin-Winの関係を築けるようになればよいと考えています。私は時間がかかりましたが、この業界の皆様には、この「ワンサポ」で解決したいと思っています。
稲垣:実は、矢野さんはいま自主隔離中です。今日の対談は家からオンラインでつないでおり、インドネシアからご帰国されたばかりになります。このワンサポ第1弾として、インドネシアでトレーニングと技能試験への受験が行なわれました。ご覧になっていかがでしたか?
矢野:間違いなく行ってよかったと思っています。行ってよかった理由としては、「『循環式社会』が、現実の問題としてもうインドネシアで起こっているんだな」というのが分かったことでしょうか。
稲垣:なるほど、そのお話について、もう少し詳しくお聞かせ願えますか?
矢野:ワンサポの大事なポイントに、「入国がゴールではなく、彼らが帰国するまでサポートしますよ」というのが一つあります。それが我々のワンサポにおける当面のミッションです。彼らが帰国した時には、現地でワーカーをマネジメントできる人材が必要とされていますし、そこが人手不足だということが、インドネシアで色々な方の話を聞いて分かりましたね。当然といえば当然なのですが、まだまだ東南アジア、および「ASEAN」は鍋蓋の経営になっているため、経営者以下もまた「鍋蓋」の状態じゃないですか。
なので、そこへ日本での経験を経たワーカーの人が戻っても、人口が非常に多いために、「ワーカーのone of them」になってしまうんですね。しかし企業は大きくなればなるほど、どうしても国を問わず、ピラミッド型の、いわゆる「マネージャー」と呼ばれる管理職が必要になってきます。しかし、例えば今回訪問したインドネシア国内では、そういった人材が育つような環境がまだできていません。すると、やはり海外で経験した“マネジメントができる人材”が戻ってくれば、「ワーカーのone of them」ではなく、人材が不足しているマネジメント・管理職層にステップアップしていけます。その道筋を僕らが作らなくてはいけません。
稲垣:特定技能で、最初は一人のワーカーとして入ってきても、将来的にはマネジメントを学んで帰国してほしいということですね。
矢野:いわゆる「マネジメントする」、「管理側に回る」というのは、日本人ですら何年もかかる話ですので、そのキャリアパスを創っていくことが大事だと思います。その夢を叶えてあげる必要があると考えていますね。
稲垣:本当にその通りだと思います。我々の顧問である米倉誠一郎先生が昔おっしゃっていたのは、「日本の『技能実習制度』とアメリカの『アメリカンドリーム』は全然違う。アメリカの場合はマクドナルドで働いた先にシリコンバレーがある。『時給で働く世界』から『ビジネスを創っていく世界』まで道を作ることが重要だ」と。まさに、「自分が日本に来た後に、どう自分の夢をつないでいくか」ということを、「キャリアパス」として見せることは非常に重要だと思いますね。
矢野:インドネシアでは、いまだビルメンテナンスも労働集約型ですし、インハウスで行なうのがほとんどで、「アウトソーシングする」という概念がまだない環境です。仮に、先ほど述べた日本のメンテナンス業務のDX化を、彼らが日本で学べたとしたら、その知識を持って自分の国に帰るだけで、もうマネージャーですよね。
稲垣:すごい価値です。
矢野:「さすが日本で勉強した甲斐があるな」と思われますよね。ですので、例えば我々がショッピングモールを最大限に効率化して清掃できるシステムを彼らに売ってあげる、また彼らがそのシステムを使えるだけでも、十分マネージャーレベルになれます。「これを勉強しなきゃいけない」、「あれを勉強しなきゃいけない」というよりも、5年先、10年先の社会を見せてあげるだけで、スキルだけでなくセンスも磨かれると思います。実は、技人国というのは肩身の狭い在留資格で、要は「通訳しかできない」とか、「国際貿易業務しかできない」といった場合と同様です。それよりも、特定技能ができる現場監督は、責任範囲が広く、例えば部下のシフト管理などの人的マネジメントも入ってきますし、資材管理や、モノのマネジメントも入ってきます。また、「いつまでに工期をあげなきゃいけない」というタイムマネジメントも入ってきますし、「これだけ進捗しています」という顧客に対するマネジメントも必要です。「経営資源」といわれている、「人」、「モノ」、「カネ」の情報が一気に学べるのではないかと私は思っています。
そして、母国のためにビルメンテナンスで一旗揚げてくれる人が増えてほしいですね。「衛生的な環境づくりにおいては、恐らく日本が今先進国なんですよね。トップレベル、世界に誇れる技術のひとつだと思っていますので、その世界に誇れる技術を勉強して、「自分の国に還元する」、「自分の国を綺麗にする」というのは、立派なジャパニーズドリームだと思います。私は、ビルメンテナンス業界からジャパニーズドリームを作りたいです。それで、「億を稼ぐ」という人が出てきてほしいと願っていますね。
日本の復興とともに成長したビルメンテナンス業界は、いまや旧態依然とした業界である。しかし、今まで培ってきた「日本がこだわった清掃の美学」は、改めて世界に誇れる【文化】であるとともに、さらにDXによって進化を遂げることで、世界に求められる【ビジネス】である。その【文化】と【ビジネス】を学んだ外国人が、特定技能を持つ「ただのワーカー」としてではなく、「母国で清掃ビジネスを興していく」。そんな循環型社会を創造している矢野さんに、業界の明るい未来を感じた。誰かが言い出し、動き出さないと、業界や慣習は変わらない。最初は誰も信じない世界観でも、共感者が現れ、関わる人が増えてくると、業界も変わっていく。矢野さんの描くビジョンには大変深い共感を覚えた。ぜひこの挑戦を応援したいと思う。
【取材協力】
矢野 智之氏
株式会社アイ・ビー・エス 取締役社長
1995年アイ・ビー・エス入社、2004年同社社長就任。社名のアイ・ビー・エスは、「イノベーション」のI、「らしさ」(be)や「ブランド」のB、「スマイル」のSに由来し、All for Smile という企業理念のもととなる。革新的な技術・サービス推進企業に与えられる「低Co2かわさきブランド2019」大賞受賞。「アジア各国へ日本の〈きれい〉を提供したい」と2016年ミャンマーに現地法人を創業。現在7カ国(中国・ミャンマー・スウェーデン・ベトナム・タイ・モンゴル・ネパール)より高度人材を受け入れ、現地進出の日系企業や現地政府に、日本のメンテナンス技術&サービスを提案・提供している。
本コラムは、HRプロで連載中の当社記事を引用しています。
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=2657