COLUMN
今回のテーマは、宗教特集第2弾・イスラム教だ。しかし、本稿を執筆中にあるニュースが飛び込んできた。ゼネラル・エレクトリック(GE)会長を務め、20世紀最高の経営者といわれたたジャック・ウェルチ氏が2020年3月1日に逝去したという。名経営者が世に残した功績は大きい。GEは誰もが知る世界を代表する企業で、ジム・コリンズ著『ビジョナリー・カンパニー』の18社にも選出されている。私も20代のころに同書を読んで大変衝撃を受けた。
ビジョナリー・カンパニーとは、「先見的で卓越した業績を残し、同業他社から尊敬を集めるような、時代を象徴する企業」と定義される。その第一歩として「時を告げるより、時計を作る」ことが大切とされている。世の中に強く長く存在するためには、時を告げる天才的な経営者に頼るのではなく、正確な時を告げ続けられる時計、つまりは「ビジョンなどの価値観・考え方や、経営者だけに依存しない組織の仕組み」を作り上げることが重要である。企業が長生きするのはたやすいことではない。30年の存続率はわずか0.02%ともいわれる中、GEは130年弱の歴史を誇る。そして、ビジョナリー・カンパニーに選出された歴史ある企業だけでなく、今の世を席捲するGAFA(米IT4大企業)やBAT(中国拠点のインターネット関連3大企業)も、強力なビジョンや組織の仕組みという「時計」を構築している。
さて、話を本題に戻そう。「GEという組織」が約130年間、強い組織を作り続けていることはすばらしいことではあるのだが、ふと宗教の歴史と比較すると、「宗教という組織のすごさ」が浮き彫りになる。
前回を含め5ヵ月にわたってテーマとする、イスラム教、キリスト教、仏教、ヒンドゥー教の歴史は長い。それぞれの始まりを見ると、イスラム教はムハンマドが啓示を受けた紀元610年ごろ、キリスト教はイエスが布教を開始した紀元30年ごろ、仏教はブッダが悟った紀元前5~6世紀となっている。ヒンドゥー教にいたっては何をもって始まりとするかは見解がわかれる。インダス文明にまでさかのぼる説もあるが、バラモン教を起源とした場合でも紀元前6世紀だ。
もちろん、企業と宗教は同じ基準で比較できないが、組織の定義を「ある目的をもった複数の人で形作られる秩序のある集まり」とすると、これら4つの宗教は、他と比較しようがないほど長い歴史と巨大な構成人数を誇る一大組織ということができるだろう。
私は、インドネシアに行った6年前、なぜムスリム(イスラム教の敬虔な信者)は毎日お祈りをし、飲酒・豚肉食を禁じ、ラマダーン(約1ヵ月間、日中に断食をする)をおこなうのかわからなかった。今となっては理解こそできるが、進んで取り組みたいかというと難しい。しかし、そんなちっぽけな私感をよそに、イスラム教は1,400年以上の歴史を誇り、世界で16億人もの信者を抱えている。
今回の対談に応じてくださったのは、インドネシアで「イスラム教に改宗した日本人」として有名な小尾吉弘さんだ。ビジネスマンとしても著名な方である。小尾さんが、なぜ、どのような経緯で改宗したのか、また、イスラム教とどう向き合っているのか、大変興味深い話をうかがうことができた。
INDEX
(稲垣) 小尾さんといえば、丸紅に長らく務められて「MM2100工業団地開発」を立ち上げたことでも有名です。インドネシアに40年近く前から駐在されているとうかがっていますが、もう少し詳しいプロフィールを教えていただけますでしょうか。
(小尾) 1982年に丸紅に入社して30年、海外不動産案件に従事しました。インドネシアの首都ジャカルタには83年に初めて駐在しました。89年にMM2100工業団地開発の立ち上げに関わってから、MM2100の開発運営をずっと行ってきました。
2012年に丸紅を退職したのち現在も、MM2100・BeFaの開発・運営会社社長として、企業誘致と、投資環境や労使関係の改善に取り組んでいます。そのほか、セントラルプラザ・ミッドプラザ・マンガドゥアモール・ポンドックインダのゴルフヒルテラスアパートなど、さまざまな開発に携わりました。2012年には工業団地内に職業専門高校を設立して、工業団地近隣の生徒たちを中心に即戦力となる人材育成にも注力しています。
途中、フィリピンに7年、インドに2年駐在していろいろな開発事業に携ったり、丸紅本社の従業員組合委員長を経験したりしました。
(稲垣) まさに「バリバリの海外商社マン」ですね。いろいろな国の駐在や、労働組合委員長まで経験されているとのことですが、ご自身の希望だったのですか?
(小尾) なんでもやってみたいタイプではあります。基本的に人から期待されたり頼られたりすると断れない性格で。それぞれの異動も「誰かから期待されて」という理由が多かった。人から頼まれると「いっちょ、やってみるか!」となってしまうようです(笑)。
(稲垣) 期待に“男気スイッチ”を押されるんですね(笑)。では、イスラム教に改宗されたのはいつですか?
(小尾) 2006年に入信しました。
(稲垣) 83年にジャカルタにいらっしゃった当初から興味があったんですか?
(小尾) まったくなかったですね。イスラム教について勉強しようとも、特には思っていなかったです。当時は、まずインドネシア語の勉強をしなければならず、さらに仕事を覚えることでアップアップしていたような気がします。
(稲垣) どのようなきっかけがあったんでしょうか?
(小尾) 97年に始まった「アジア通貨危機」や暴動の影響で、土地が一切売れなくなってしまい、「MM2100」は借金も在庫もいっぱい抱えて本当に大変な時期がありました。それでもインドネシアの社員と力を合わせ、みんなで頑張った。それに加えて景気も回復してくると、徐々にですが再び土地が売れだして、少し安定してきた。そこで、給排水設備や道路など、いろいろなインフラ整備をしている最中に、モスク(イスラム教の礼拝堂)も建てようということになったんです。それが2004~05年のことでした。
本来、工業団地には社会的施設としてモスクが必要だったのですが、この当時、MM2100にはまだありませんでした。モスクにはこういったものが必要だとか、どのような形式で作るかとか、いろいろ勉強して議論もしました。その中で一緒にプロジェクトを進めたダイレクターがムスリムだったんですよ。彼からイスラム教に関するビデオをもらったり話を聞いたりして、興味を持ちだしたのはこの時です。
入信の少し前に同時多発テロがあり、私は事件をフィリピンで知りましたが、かなりショッキングでした。一部の人ではありますが、過激な思想に傾いたらあんなに怖い事が起こる。だけど、僕らが実際に付き合っているインドネシア人のスタッフは全然違うんです。だから、却って「イスラム教ってどんなものなのだろう……」と深く考え始めました。
(稲垣) 私もインドネシアに行って6年ですが、インドネシア人ムスリムの穏やかな方々と接して、イスラム教への見方が変わりました。これも宗教の賜物でしょうか。
(小尾) もちろんインドネシア人本来の国民性がありますが、イスラム教の教えも大きく影響していると思います。ただ、イスラム教の信者だから必ず立派な人である、というわけではありません。私は2019年にハッジ(メッカへの巡礼)に行きました。これは、年に1回だけ世界中から400万人のムスリムが一堂に会する大切な儀式です。
一生に1度の素晴らしい経験がたくさんできましたが、残念に感じたこともありました。メッカは非常に暑いので、そこら中でボランティアの方が水のペットボトルを配ってくれるのですが、なんとカーバ神殿のあるモスクまでの道中に空のペットボトルが大量に捨てられていたんです。日本では考えられないですよね。残念に感じたと同時に、イスラム教徒ではない日本人のほうが、「常に自分を律していくことが大切」という『コーラン(イスラム教の聖典)』の教えに沿った行動をしているじゃないか? と、少し皮肉に感じたものです。
(稲垣) イスラム教について興味を持ち始めることと入信を決意することでは、かなりハードルの高さが違うと思いますが、どういった過程があったんですか?
(小尾) 実は、イスラム教に飛び込んだのはモスクを建てる起工式の日でした。金曜だったので、朝に起工式と地鎮祭を終えたらそのまま金曜礼拝に連れて行かれて、その場で信仰告白をしました。
(稲垣) えー! ちょっと突拍子もなさすぎませんか? 入信しようと既に決めていたんですか?
(小尾) その日の朝まで特に決めていなかったんですが、これも、期待されていたからというか。金曜礼拝に行くと、すでに私が入信するための準備が全部セッティングされていました。「え?」と思ったんですが、周りを見るとみんなが期待した顔をしているから、「まあ、いいか」と(笑)。
(稲垣) また、“男気スイッチ”が! 奥様には事前に相談したんですか?
(小尾) まったくせず、でした。結局、その場で信仰告白してしまったので、翌日には「MM2100の日本人社長がイスラム教に改宗した!」と、インドネシア人の間ではあちこちで話題になりました。でも、3~4ヵ月間、妻には言えませんでした。
(稲垣) 本当ですか! 毎日のお祈りや禁酒でバレなかったんですか?
(小尾) お酒はもともとそんなに飲まないので大丈夫でしたが、お祈りは部屋でこっそりおこなっていました。結局、入信4ヵ月目くらいで妻にバレたんですが、当時は本当にびっくりしていましたね。
入信したこと自体については、あまり拒否反応はなかったのですが、「なんで言ってくれなかったの!」と、めちゃくちゃ怒られまして……。その後、いろいろと話し合い、彼女も理解をしてくれて、それ以降は、隠れてお祈りをしなくてよくなったので、楽になりました(笑)。
(稲垣) 日本人が簡単に入信できるものなのですか?
(小尾) 入信自体は簡単です。イスラム教徒になるために何が必要かというと、まずはイスラム教徒2人の前で宣誓をすることです。あとは「六信五行」といって、「信ずべき6つの信条と、実行すべき5つの義務を守る」という非常にシンプルなことなんです。「六信」とは唯一神アッラー・天使・使徒・経典・来世・天命。「五行」とは、信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼です。
六信の「使徒」というのは神の言葉を預かってきた預言者、つまりメッセンジャーです。ユダヤ教におけるモーゼ、キリスト教におけるイエスが、これに当たりますね。イスラム教では、ムハンマドが伝えたことを、信じて実践しましょうということです。そしてアッラーが唯一の神といっています。メッセンジャーはムハンマド以外にも歴史上に複数いたけれども、アッラーのほかに神はないという考え方で、一神教と多神教を分けています。
(稲垣) ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じ神だと聞いたことがありますが、ユダヤ教・キリスト教の神もアッラーなんですか?
(小尾) そうです。誤解のないよう解説すると、「アッラー」とはアラビア語で「神」という意味です。アラビア語で書かれたキリスト教徒の『聖書』には、英語の「ゴッド」に相当する単語として「アッラー」と表記されています。
(稲垣) そうすると、アラビア語を使うクリスチャンは、「主」という意味でアッラーと呼ぶ、ということですね。
(小尾) そうです。インドネシアでもクリスチャンがキリスト教のミサに行ったらアッラーと言っていますよ。
(稲垣) 特定の信仰を持っていない私からの素人質問なのですが、イスラム教も他の宗教も、それぞれ素晴らしい理想を掲げているのに、宗教に関するいろいろな“いざこざ“を目にします。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
(小尾) 私が思うに、結局は宗教がアイデンティティに直結しているからだと考えます。どこかの集団に所属することの証が、宗教に入信することと同義になっている。また、時の権力者が、宗教を使うと人をまとめやすいという考えから、利益のために人をグルーピングして、安心感・満足感で人を惹きつけようとする場合もある。だから、自分の信仰する宗教以外を認めないということは、相手のアイデンティティを否定しているのと同じことになり、対立してしまう。これは「本来の信仰」からはかけ離れた考えです。
(稲垣) では、ムスリムの方々は、他の宗教をどのようにとらえているんですか?
(小尾) 『コーラン』の中には、「我らはお前達を男と女に分けて創った。そして、いろいろな種族や部族をなした。これはお互いを知り合うためである」と書いてあります。つまり、それぞれのもつ多様性を認めるのがイスラム教なんです。多様性を通じてのみ、人は自分自身という人間の形と重要性を真に知ることができる。イスラム教では「寛容と多元主義の必要性」を説いています。
(稲垣) その多様性というのは、多宗教も含めてですか?
(小尾) すべての多様性です。キリスト教も仏教も、黒人も白人も。すべてみんな仲良くしなさいというのが、『コーラン』の本来の教えなんですよ。
(稲垣) すべての人にイスラム教を布教しよう、という意味ではないんですね。
(小尾) ないです。というのも、全部の人間をイスラム教にするのであれば、神は最初からそうしているという考えです。
(稲垣) 当社は多様性や異文化適応力を研究していますが、アイデンティティを持つことが行き過ぎると、排他的になってしまって良くない。しかし、反対に、持たなすぎるとアイデンティティ・クライシスが起こって自分を見失ってしまいます。そのバランスをどのように保つべきとお考えでしょうか。
(小尾) 例えば、私は日本人なので、イスラム教徒になろうがインドネシアに住もうが、自身が持つアイデンティティは「日本人」であって、それは変わらない。でも、日本以外にもいろいろな国があるのは事実なんですよ。大事なことは、自分と異なる存在を認めるということです。
(稲垣) 「自分と異なる存在を認める」というのはどういうことですか。
(小尾) 「自分が1番」ではないということ。つまり、相手に対するリスペクトが大事です。「あの人はこういった考えで、自分の考えはこう。でも、争う必要は何もない。意見や違いがあって当然だよね」と、まずは認め合うことだと思うんです。何か問題が起きた時に、話し合ってお互いに納得するところを認め合おう、ということが大事です。『コーラン』の教えで大切なのは、「人に感謝される人間になること」なんです。
これから日本は多くの外国人と接することになるが、日本人や自分自身と異なる価値観を否定せず受け止める、相手をリスペクトする、ということが、日本のグローバル化におけるカギになると感じている。これは、普段日本人としか接していない人や、自分と考え方の近い人としか接していない人にとっては、意外と難しいことだ。しかも、残念ながら多様性を肯定するのが難しい日本人に少なくないと思う。6年前、インドネシアに飛び込む前の私も、このような典型的な日本人だった。
6年前にインドネシアに行くまで、イスラム教というのはつかみどころのない宗教、というイメージが強かった。しかし、人のいいインドネシア人とたくさん接することで見方は徐々に変わった。さらに、今回小尾さんに教えてもらったことで、頭でも理解できるようになったように感じる。個人的には、今回お聞きした「イスラム教は多様性を認める宗教」という考えがすばらしいと思う。何より、六信五行という強烈な信条や義務を守り、約1,400年「組織」を拡大し続けているイスラム教のエネルギーはやはりすごかった。
取材協力:小尾 吉弘(こび よしひろ)さん
1959年、奈良生まれ。大阪外国語大学イスパニア語科卒。総合商社にて入社以来、30年にわたり、海外不動産案件に従事。83年よりインドネシア(ジャカルタ)に駐在。ジャカルタの中心地でのオフィスビル・商業施設の開発を担当。89年には、「MM2100工業団地」開発に立ち上げから携わる。96年より、フィリピンにても「リマ工業団地」開発を立ち上げる。2003年以降、総合商社退職後の現在もMM2100開発・運営会社社長として、企業誘致と、投資環境や労使関係の改善に取り組む。2012年、工業団地内に職業専門高校を設立し、即戦力となる人材育成にも注力。2006年イスラム教に入信。MM2100にモスク建設に関わる。2019年、メッカに巡礼(ハッジ)している。
本コラムは、HRプロで連載中の当社記事を引用しています。
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=2036